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2022年12月 1日 (木)

広島の工場へ

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約50年前、僕は埼玉県入間郡の化学会社の研究所に勤務、、

広島県大竹市にあった工場の再構築のための新商品開発を担当していた。

丁度4人目の次男が誕生した時に、研究所から大竹の工場に転勤、、、

以来、多くの仲間達と新商品の開発、工業化、市場開発、、毎日,毎夜、日が変わる前に帰宅するという日々、、

それでも、特許報奨金や提案の賞金などを貯めて,みんなで毎月のように宴会や岩国の飲み屋へ、、、

車を連ねて旅行したり、、、

営業、製造、開発の苦労の甲斐があって、事業は立ち上がり、商業プラントも次々と建設され、工場の大きな主力事業に、、、

そして、40年後の今も、かって開発した多くの新商品が現役で、、、、、

今日は、事業構築に関わった先輩、同輩、後輩,現役の仲間達、、、が工場に集まり,工場見学

もう80歳を越える人も出てきて、、、、、、今日が最後の集まり、、、

と言うことで、17人が15時に工場へ、、、

僕は,朝早く出て,12時前には広島駅に、、、、

懐かしい広島駅の駅ビルでお好み焼きを食べようとしたが、広島駅が全く変わってしまって,昔の面影無し。

仕方が無い、、、、山陽線で下って、かっての社宅があった玖波駅で下車

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家族が10年間暮らした町、、、魚釣りや貝拾いに行った玖波漁港

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港からは、海の向こうに工場の化学プラント群が見える。

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工場から東京本社へ転勤と同時に、平成元年、家族は妻の実家があった静岡に引っ越した。

3年の東京本社勤務の後、再び広島県の大竹工場へ、、、

新設された開発センターの所長としての5年間、、、毎朝、1時間の早朝ウオーキング

社宅から山に続く田舎道を歩いた。

特に,阪神淡路大震災の後は、帰省することも困難

週末は,広島、山口の中国山地や瀬戸内海の島、半島を歩いた。

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15時に間に合うように、、工場玄関に到着

迎えてくれた総務部長は、昔、工場の経理に配属されたばかりに新入社員のW君、、

工場長からの工場概況の説明を受け、、、、

バスに乗って、工場構内の見学、、、、懐かしいプラント群、これで最後の見納め!

最後に見学した開発センターの玄関受付に飾ってあった花の写真「寒い冬空に咲くピンクのバラの花」

僕が,所長を離任するときに置いていった写真だった。

額の後ろに,「初代所長、、、、、寄贈」とあった。

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夜、工場のゲストクラブでの会食

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次々と、、、、凄いご馳走だよ!

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会食後は,宿泊の岩国へ

しばしば徘徊した飲み屋街、、、

人はあまり,いやほとんど歩いてない、

ネオンが灯って,営業してるのは5軒に一つくらい

コロナの影響なのか、、町全体が寂れてしまったのか、、

昔の活気を取り戻して欲しいな~

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コメント

懐かしい大竹、玖波。胸はいっぱいになっちゃった。静岡に引っ越してだいぶん経つけど やはり子供の頃の沢山の思い出はそこにあるよ。前回訪れた時はずいぶん街並みが変わってしまって、でも昔ながらの八百屋さん、魚屋さん。かつてクラスメートだった子の家の表札。浦島太郎のような気持ちが楽しかった。本当に何も無い街だったけど、山と海に囲まれて最高な子供時代だった。ありがとう

大竹! 懐かしいですね!
なべショーさんも皆も若くて、人生を一生懸命生きていた時期ですね。
今思うと、苦しいこともあったかもしれませんが、全部含めて輝いていました。
次女さんと同じで胸がいっぱいです。

LAの次女さん
これで最後の見納め、、、、玖波漁港、貝拾いした海岸、古い町並み、、
変わってるところ、昔のままのところ、、、子供の頃に育ったところは,今も懐かしいね。

s-ishiさま
埼玉の研究所時代を含めて、必死で生きた時期でしたね。
あまり家族、家庭を返り見ることが出来ませんでしたが、、、
辛い事も多々ありましたが,今となっては全て良し、、良い人生でした。

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